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| 対談日:2003年5月 記録:カワキヨコ
清水 |
『人魚姫』は、「劇団人形の家」の旗揚公演だったので、まだやる人たちもちゃんと揃ってなかったところから始まった。 |
高山 |
そうですね。 |
清水 |
だからひとみ座にいた人真田敏春くんと浅賀孝枝さんなど何人かと井村淳夫妻が中心で人を集めながら稽古を進めた。しかも…稽古場もないから…阿部進さんがゆかり文化幼稚園(場所は成城学園)の先生をやってる関係で、 そこの講堂を借りて稽古していた。 |
高山 |
渋谷と原宿の間のグリーンタウンというマンションの中にぼくの子ども調査研究所があったので、そのマンションの一室を人形の家も事務所に借りていた。
カワ |
『劇団人形の家 』という名前を寺山さん(寺山修司氏)がつけて下さったそうですが…どういうタイミングで…? |
清水 |
寺山さんに、僕が「人形劇団を新しくやるんだけど、いい名前ない?」って言ったら、すぐに「『劇団人形の家』はどう?」「いいですね。それでいこう!」って…。場所は、新宿コマ近くの喫茶店「蘭」でした。 |
カワ |
この作品は、人形劇の公演としては大成功だったそうですね。 |
清水 |
マスコミが取りあげた頻度では、他の人形劇のスケールをはるかに超えていたかもしれない。 |
高山 |
そうですね。それと『人魚姫』の舞台を観た人たちへのインパクトは、かなり強かったようですよ。 |
清水 |
ああ、強かったようですね。 |
高山 |
だから、ずーっとこの舞台のイメージが大人になってからも強烈に焼き付いてるっていう人がけっこういるんですね。 |
清水 |
僕は、寺山さんとやるのはこの『人魚姫』が最初じゃなくて、ひとみ座時代にあるんですけど(『狂人教育』のこと)…宇野亜喜良さんの人形デザインや舞台美術で『人魚姫』という素材、そして美しい林光さんの音楽で、スタッフが粒揃いで良かったんじゃないでしょうか… |
高山 |
そうですね。まさにドリームチームといった陣容だった。 |
清水 |
そういうメンバーで出来上ってきた世界っていうのは、それまでの人形劇にはなかった世界の提示だと思いますね。中でも美術の力は相当大きかった。 |
高山 |
ええ。 |
カワ |
声の出演も石坂浩二さんとか和泉雅子さんで---当時の人気スターですよね。 |
高山 |
ええ。でも、なんで和泉雅子になったのかが… |
清水 |
あれ!?高山さんがそれを希望したんでしょ! |
高山 |
ハハハハ… |
清水 |
それで、厚生年金会館にも観に来ましたよね、彼女。 |
高山 |
友だちと一緒にきて、とっても気に入っていた。 |
清水 |
最初、人魚姫の声には…いろいろ候補が出たんですよね…加賀まりこがいいとか… |
高山 |
うんうん。 |
清水 |
それから、山本リンダとか… |
高山 |
声の録音の時、加賀まりこがスタジオまで来てたよ。 |
清水 |
そうでしたっけ!?覚えてません。 |
高山 |
加賀さんは、やりたかったんじゃないかな。劇団四季ではオンディーヌやってるでしょ? |
清水 |
そう。 |
高山 |
だから、あの頃の普通のイメージでいうと「加賀まりこがいいんじゃない」ってなる。 |
清水 |
そうですね。 |
高山 |
そこが…なんか…日活の和泉雅子にしたとこがね、ちょっとおかしいよね。 |
清水 |
ハハハ… |
高山 |
『人魚姫』は一種のミユージカルだけど…「彼女歌えるの?」って思うでしょ?ハハハ |
カワ |
和泉さん、歌も可愛いですね。 |
清水 |
うん。 |
高山 |
なんか、一所懸命歌ってたよね。 |
清水 |
そう、一所懸命だったね、それがいかにもティーンの女の子ぽくて… |
高山 |
何とも良かった。 |
清水 |
宇野亜喜良さんはね、山本リンダって言ってたようでしたが… |
高山 |
それも面白いけどね。 |
清水 |
和泉さん、今は北極へ行くための太ったイメージしかないけど、昔の写真見せてやりたいよね。ここに写真持ってますけど… |
高山 |
わあ、ホント? |
清水 |
(写真を示して)ほら、これ録音の時です。綺麗でしょう? |
高山 |
うん。ホントだ。 |
清水 |
そして(イカの人形の写真を出して)これは、阿部進のサイン入りのブロマイド… |
高山 |
ハハハ |
清水 |
会場で売ってたんですよ、ブロマイド.。それから…(ジュサブロー氏のアトリエで撮った写真を見せて)この写真は宇野さん、寺山さん、辻村さん、私、そして阿部進さん。 |
高山 |
みなさん、若いですね。 |
清水 |
そりゃそうですよ。 |
高山 |
あの頃は…宇野さん…光り輝いてたよね。 |
清水 |
そう。 |
高山 |
宇野さんの、あの頃のイラストはちょっと妖しい雰囲気があって、特に目の大きい細身の女性の… |
清水 |
ツイギーみたいな? |
高山 |
うん。そう…それと、あと印象に残ってるのは馬なんだよね… |
清水 |
ああ…馬ね… |
高山 |
宇野さんが、描いた馬ってステキで… |
清水 |
うん。だから『人魚姫』の時にも、海上を滑るように横切って行く大きい白馬を登場させてみましたが… |
高山 |
ええ…ええ…僕ね、実際に宇野さんに会う前は、イラストのイメージから…気難しい繊細な神経の持主で…ちょっと怖いような… |
清水 |
ハハハ… |
カワ |
かなり、細かいとこまで宇野先生が…? |
高山 |
そうですね。…そしてお会いしたら、宇野さんは割合気さくな方で… |
清水 |
そうね、気さくですよね。 |
高山 |
気むずかしい人じゃなかった。 |
清水 |
あれだけ、騒がれたイラストレーターって珍しいですよね。 |
高山 |
そうだね。 |
清水 |
大スターですよ。だから、ポスターなどは…貼ればすぐ盗まれてました。 |
高山 |
だから、宇野さんに資料を全部見せて…寺山さんの書いたコピーとか… |
カワ |
えっ、プログラムのコピー(『人魚姫』プログラムの最初と終わりのページに書かれた文章)は寺山さんのですか!!! |
高山 |
そうそう。寺山さんは何でもすごく積極的にやってくれるんですよね。…そういうの…他人にやらせるの嫌なんじゃないの?気に入らないの作られるのが… |
清水 |
そうかもね。 |
カワ |
その甲斐あって…『人魚姫』のプログラム、他の作品のとは違いますね〜。 |
高山 |
宇野さんは、「ちょっと待って下さい…」とか言って写真をそこで選んで、それでレイアウトも全部やってくれた。…それがパッパッと仕事速いんだよね! |
清水 |
うん、速い! |
高山 |
僕が自分でやったらああでもない、こうでもない、ちょっとここトリミングとか…すごい時間がかかっちゃうけど…宇野さんはホントに速い。それに感動した記憶がありますね。 |
清水 |
あと、『人魚姫』では、辻ちゃん(辻村氏のこと)に人形製作を頼んだのも…正解だった。 |
高山 |
そうですね。ジュサブローさんが他人のデザインで人形を作ってくれるなんて、2、3年後だともう考えられないよね。おふたりのコラボレーションが見事に成功した! |
清水 |
うん。それ以降に僕の演出で人形の家でやった『小さい魔女』とか『桜姫東文章』は人形デザイン・製作共に辻ちゃん(辻村氏のこと)だった。 |
高山 |
…それと、僕は最初清水さんはすごく怖い人っていうイメージだった。 |
カワ |
…高山先生と清水先生との出会いは、いつ頃ですか? |
高山 |
清水さんは記憶にないと思うけど… |
清水 |
僕、高山さんと初めて出会った頃の記憶がないんです。 |
カワ |
学生の頃? |
高山 |
学生の頃です。…それから2度目は「現代子どもセンター」を作ったころ。…清水さんがひとみ座で稽古つけてるのを観に行ったの。(現代子どもセンターに関する資料はこちらをご覧下さい。月刊現代(講談社)掲載記事 「現代っ子誕生」 by高山英男) |
清水 |
ああ、そうですか。これまた、覚えてない。 |
高山 |
その時、清水さんは…ホント偉そうでね。 |
カワ |
昔は怖かったみたいですね。 |
高山 |
そうそう。かなり厳しいんですよね。「ひとみ座のボスともなるとすごいんだな」と思った。いささか恐れをなした。 |
清水 |
ハハハ…それより前の横浜国大の学生祭の時は…? |
高山 |
僕は、学生新聞の編集長やってたんですが、その頃学生運動の潮流では、大衆的な組織で今でもある民青っていう組織と、その反対派の反戦学同っていうのがあって、ぼくは反民青の方だった。…学生祭のイヴェントに招く劇団として民青の方から提案されたのが清水さんの劇団「ひとみ座」だった。それで、僕達の方は村山知義の「新協劇団」を提案して…あの頃は岡田英次とか木村功とか…岡田さんの奥さんの和田愛子とか… |
清水 |
ええ… |
高山 |
なぜか、「女の一生」を持って来た。杉村春子主演のじゃない…。 |
清水 |
ああそうでしたっけ。森本薫の「女の一生」? |
高山 |
ええ…で、民青側が呼んだ人形劇には、僕あまり好意をもってなかった。どうせ教条主義みたいなアジテーション劇をやるんだろうなと思っててね。人形劇って、僕の中ではそういうイメージだった訳。 |
清水 |
ああ、そうね。プークなんかブー吉という人形で、メーデーの前夜祭とかではアジテーションみたいなことをやってたからね。 |
高山 |
そうそう。あとは、セツルメントかなんかで子ども集めてネコなで声でやるような…そういうイメージあって、あんまり人形劇に期待をしてなかったわけ。好奇心だけはちょっとあったけど…で、敵情視察もかねて見に行ったら、その時にひとみ座がやったのは『カスペルの冒険』。 |
清水 |
そうです。 |
高山 |
それがすごく面白かったの。人形劇ってこういうのかって思って…ある意味でかなり暴力的で破壊的ですよね。 |
清水 |
そうですね。 |
高山 |
僕はその時人形劇を初めて観たから、上手いか下手かよくわからないんだけど…。とにかく反権威的なパワーを感じた。 |
清水 |
僕がカスペルやってたんです。台詞と操作ともに…そして演出も。 |
高山 |
あの時、ひとみ座と人形クラブかなんかが競演で? |
清水 |
ええ、そうですね。人形クラブは影絵で『うりこ姫とあまんじゃく』だったかな? |
高山 |
そうそう。…あれは、井村淳さん(人形遣い)達の…? |
清水 |
そうです。 |
高山 |
で、その時に代表者の清水さんと話した。僕は学生祭の委員もやってたから…安いギャラしか払えないので、言い訳もかねて…「安くってすみません」って言った記憶があるんですよ…その時の借りが今もどこかにあるのかな?… |
清水 |
ハハハ…そんな… |
高山 |
みんな若かったよね。1950年だと清水さんはいくつですか? |
清水 |
22、3ですね。 |
高山 |
僕がちょうど20才位だよね。清水さんとはそんな出会いで…1960年代のはじめに僕たちが「現代子どもセンター」っていうサークルを作った。わが国では人形劇団協議会とか児童文学者協会とか日本漫画家協会とか同じジャンルの職能団体が作られていて、…そういうような同じジャンルの中だけで集まってお酒飲んだり、妬みあって喧嘩したりだけでなく…同じ「子ども相手の仕事してるのに、異分野の人だと交流がないのって変だね」っていう話をしていて…「いろんな分野の人たちを集めて、サークルみたいなのをやらない?」って作ったのが『現代こどもセンター』。…その頃、ひとみ座と阿部進は関係あったのかな? |
清水 |
阿部先生は川崎市の住吉小学校の先生をやってて、そこでひとみ座は上演やったし、公演のあとは子ども達と座談会もやっていたから…阿部進は知っていた。 |
高山 |
あの頃『現代子どもセンター』 では厚生年金会館で「子どもサロン」ていうのをやったりした。その時、「ひとみ座」にいた清水さんが来てくれてたこともあるんだよね、最初の頃… |
清水 |
ええ。 |
高山 |
そうですね。TBSの中に部屋がありましたね。 |
清水 |
そうです。『ビッグX』の準備期ですね。 |
高山 |
藤岡さんは、お互いによく知らないのに突然汗をふきふき現われてね、「今ひま?…ちょっと付き合って!」って言って、すぐそばなのにタクシーに乗せられて…僕はTBSにもつれて行かれた。 とにかく、せっかちで面白いキャラクターだった。 |
清水 |
でも、慎重でノロマなところもある---そのアンバランスが面白かったりもする。 |
高山 |
…僕は元々はジャンルを問わず舞台やなんかを観るのが好きで、こどもの時から宝塚の原体験があるでしょ、だからいわゆる新劇的なリアリズム演劇にない作りものの舞台に興味があって…人形劇ってバカにしてたけど、宝塚もある意味で作りものだし…、人形劇って面白いなあって思うようになって…清水さんのを観た直後に「バヤヤ王子」という舞台を観て、それも面白かった。 |
清水 |
プークですね。あれの源はチェコスロバキアです。 |
高山 |
ところが、人形劇団の中でユニークなことをやってる清水さんが、僕と知り合ったあと間もなく、人形劇団をやめちゃったわけですよね。 |
清水 |
ええ。 |
高山 |
で、僕は「清水浩二っていう才能が舞台を実現出来るような条件ができると良いね」っていう話をある頃からしてて、寺山さんにも話した。寺山さんは『俊英三詩人の書下しによる人形劇』でひとみ座にかかわってて、どちらかというと清水浩二の才能に彼は魅力を感じてて、実は清水浩二があの時、自分の作品(寺山作『狂人教育』)の演出をやってくれなかったっていうのを、恨んでたよね… |
清水 |
ああ、寺山さんにも直接言われましたよ、草月ホールで…。 |
高山 |
ハハハ |
清水 |
寺山さんは、僕の演出した『マクベス』を観て衝撃を受けたみたい。その上『狂人教育』のとき、寺山さんに「何か書かないか」って話を持ってったのは僕だし、当然清水浩二が演出すると思ってたら長浜忠夫を演出にしたっていうことで…もう、怒ってね。「谷川のと岩田のを演出してるのに、僕のだけはやってくれない!」 |
高山 |
そりゃ、寺山さんじゃなくてもひがむよね。 |
清水 |
でも、一人で三本は出来ないんですよ。で、台本上で既に一番芝居の格好になってたのが寺山さんのだったんで、台本の通りにやっていけば様になるなと思ったから…。それに、長浜だって才能あるわけですからね。 |
高山 |
そうですね。今だったら『巨人の星』の演出家で有名ですからね。…それで、そういう経緯で…清水浩二の芝居が実現出来る条件を作りたいねっていうことで、みんなで(現代こどもセンター)で応援してみることになった。 |
カワ |
『人魚姫』のプログラムには載ってない方のお名前が、新聞の『人魚姫』紹介記事に載ってますね。石ノ森章太郎さんとか… |
高山 |
そうそう…子どもセンターを作ろうって頃は、石森さんはいたから…その頃マンガ家たちって今みたいに忙しくはなかったんですよね。藤子でも赤塚でも…みんなあそこの”トキワ荘”の…手塚さんの事務所を独立して自分の事務所を作り始めたころで…だから、最初に人形芝居をみんなで協力してやりたいっていう時に、石森やなんかは、自分のマンガを人形劇に出来るといいなあっていう…そういう思いもあったと思いますね。 |
清水 |
ええ。 |
高山 |
だから、石森に何か書いてもらった事なかった?テレビでかな? |
清水 |
真理ちゃん…天地真理の番組は石森さんと一緒だったですね。それから「ワン・チュー・スリー大作戦」です。 |
高山 |
人形デザインが? |
清水 |
歌で阿部さんは苦労した!林光さん(作曲家)がウルサイからね…あの人は怖いですよ。「阿部さん…違います!!!」って… |
高山 |
ハハハ…怖い。…阿部さんは今でも時々、林さんにしぼられてる悪夢を見るとか… |
カワ |
今でもですか!? |
清水 |
目黒スタジオで歌どりやってたんだが…とにかく林さんはOK出さない。「違う!」って言ってね。そして、阿部さんは、言われれば言われる程、アガッて行く。そうすると、「そんな緊張して」とか言われて、ますます怖くなる。 |
高山 |
最近、阿部進は林さんに会ったらしいんだけど…どっか…大阪だったかな? |
清水 |
で…? |
高山 |
その頃の話が出たわけ。そしたら、林さんはちゃんと覚えていて、「それにしても阿部さんは、歌が下手だったね。」って言われちゃったって… |
清水 |
ハハハ… |
高山 |
…(辻村氏アトリエで撮影のスタッフ写真を見ながら)なつかしいね、これ。…阿部進なんかも一所懸命だったもの。これだけのものを続けていくのって、すごいエネルギーがいるんだよね。 |
清水 |
そうだね。大変だね。 |
高山 |
でも、新聞社とかいろんなところの人、よく協力してくれたよね。 |
清水 |
そうですね。 |
高山 |
記事にしてくれたりね。 |
清水 |
けっこう出てますよね。週刊誌にも新聞にも…その宣伝効果もあって若い女の子もかなり観に来てくれましたね。ティーンの女の子たちに見せたいと思っていたから、僕はうれしかった。それと、テレビのワイドショーなどにも、出ましたよね。 |
高山 |
ええ。 |
カワ |
毎日グラフでしたっけ?『人魚姫』の写真が… |
高山 |
うん。 |
清水 |
あれは…児童劇の特集みたいなのやってて…そのトップに2ページにわたって出てたような気がする。 |
高山 |
毎日の学芸部にいた、そのあとも協力したりしてくれたけど、高瀬善夫さん… あの人も亡くなったよね。いい人だった。 |
清水 |
ああそうですか、知ってますよ、高瀬善夫さんは…。 |
高山 |
あの人は鎌倉アカデミーのことも書いてるでしょ? |
清水 |
ええ、書いてます。僕はアカデミアの会でお話してる。 |
高山 |
ああ、そうですか。僕は、高瀬さんとよくお喋りしたなあ。 『人形の家』の芝居で頼みに行っても、それ以外のことでも… |
清水 |
そうですか。 |
高山 |
栗田勇に原稿頼んだっけ? |
清水 |
ああ、頼んでる。「宇野亜喜良のイラストレーションについて」をね。 |
高山 |
その時、「僕の訳したロートレアモンではマルドロールは男だよ。」って言われた。 |
清水 |
ハハハハ…栗田さんの訳した「マルドロールの歌」−−−寺山さんは好きなんですよね。 |
高山 |
そうそう。 |
清水 |
それで寺山さんは、この人魚姫もマルドロールっていう名前にしたんだよ。僕もどうして女の子にその名前つけるのかなあって思ったんだけど… |
カワ |
違和感はないですよね。デザインが強烈だから… |
高山 |
そうだね。…ところで、伝統のない劇団で急に全国各地で手打ちで公演しようなんて、かなり無謀とも言えるもんね。だから営業の面でも修羅場になるんだよね。清水さんは、全体の統括者であるんだけども、どちらかというと舞台の方に責任もってる人だからね。営業スタッフの方の文句とか愚痴の聞き役だったんだよね、僕は… |
カワ |
清水先生は、創造的なお仕事に対しては、すごくしつこいですね。同じ密度で仕事をしてない人には、何でそうなるのか理解できなくて、堪えられないかもしれません。 |
高山 |
昔、ひとみ座の稽古を見に行ったときに、この人は厳しいなって思った。『人魚姫』が営業の方でも売れなくなってくると…清水さんて、全体の統括してる割には、そういう事に対して危機意識がなくって… |
カワ |
作品のことしか考えてないですよね。 |
高山 |
そう、舞台の…そりゃそうですよね。でも、空気が険悪になってくる。 |
清水 |
昔の新劇の悪いとこなんですね。新劇っていうのは、演出家がほとんど代表で独裁的。その伝統にのっとってるワケですね。 |
高山 |
そうだね。そしてそれは今も…寺山修司もそうだし、鈴木忠志もそうだし、唐十郎も…そうでないとまた続かなかったんだよね、おそらく… |
清水 |
今日はもうこの辺でいいかな? |
カワ |
いろいろお聞かせ頂き、ありがとうございました。 |
|