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清水浩二 Koji Shimizu |
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続いて夏の公演として、八月下旬に有楽町の第一生命ホールで四ステージ再演している。その再演は、五月の東横ホールの評判が良かったせいか満員が続き、私は座席に一度も座れなかった。それのみか千秋楽には杉村春子先生と新派の役者さんでテレビでもお馴染みの柳永二郎さんが、開幕した直後位にとび込んで来られ、席がないので立って見ておられたが、三十分位過ぎた頃になると、杉村先生のマネージャーさんが、「先生、もうスタジオに入るお時間ですよ。」と杉村先生に声をかけた。無論、小さい声でだが、私はすぐ近くにいたので聞き耳をたてた。すると、「うるさいわね!黙ってて!」と杉村先生は不機嫌そうにおっしゃった。だが、女の人は「でも先生、今日は本番ですよ。早く・・・」「うるさい!もう一寸だけ・・・」だが、女の人は少しすると涙声で「先生!お願いです!テレビ局へ行きましょう。もう二十分以上遅刻ですよ。・・・ね、先生!・・・」「しーツ!静かに!あと、二、三分で出ますから・・・」「はい。」 そして、言われたように、三分後には杉村先生は外へ出て行かれた。「もっと早く観に来るんだった。」の声を残して・・・。私はこの時、杉村春子さんほどの大女優の貪欲さに脱帽し、感動を覚えた。 それと、この再演の二日目には、宇都宮演劇鑑賞会の方からのお話があり、一九六二年の一月十三日(土)十八時三十分開演で、『マクベス』を第二十回例会とすることが決まった。また、ダンちゃんは読売児童演劇祭と東京都児童演劇コンクールの両方に『マクベス』を参加させて、その結果は『悪魔のおくりもの』と同様、読売児童演劇賞、文部大臣賞、NTV賞、最優秀賞、NHK賞、厚生省中央児童福祉審議会推薦を頂き、日本テレビ(NTV)からカラーの二時間番組として放送された。また『マクベス』を観に来られた有名人は安部公房、泉眞也、岩田宏、渋沢龍彦、寺山修司、中原佑介、谷川俊太郎、真鍋博、北村和夫、杉村春子、柳永二郎、武井昭夫、針生一郎、阿部進、長谷川竜生、青江瞬二郎、茨木憲、日下令光、乾孝、高山英男、勅使河原宏、早川元二、りん・たろう、石森章太郎さん達だった。これは私が確認した人々だけであるが・・・
ところで、『マクベス』をレパートリーに上げるに際して、私は劇団の新しい創造方針を出さなければならないと考えていた。そして、その方向づけのポイントになるものは、「人形はモノである」から出発することだと思っていた。 「モノ」と言っても、「物体」「物質」の「物」もあれば、「人間の身替り」という"思い"の込められた人形(物)もある。また日本語の中にある「モノ」「もの」「物」も考えてみた。 「ものの哀れ」や「もの寂しい」や「もの悲しい」「物語」「もの静かな人」「ものぐさ」「もの好き」「もののけ」「ものものしい」「もの分れ」や「噴飯もの」とか「書きもの」「はやりもの」「ほんもの」などを見ると、「もの」とは、「なんとなく」とか「なにか」とか「なぜか」とか「思うこと」とか「心」とか「魂」とか「とても」とかが含まれているように思える。 すると、人形劇の人形の魅力は物体であることの面白さや長所と、「魂」や「心」を造型化した物としての魅力を基本として、人形操演者の憑依によるオーラを加え、時と所を越えた世界へと観客を誘い、共同体験をして貰えることが基本なのではないだろううか。 私は、そんな風に考え始めていた。だから『マクベス』の稽古の中で、マクベス夫人を演じている宇野小四郎の演技を見た時、「これだ」と感動したのだ。須田くんのガッチリした演技も魅力的だったが、「オリジナリティーが欲しいよ。」と言った渋沢兄の視点から見れば、宇野のレディ・マクベスの操演こそ、新しい今後の演技の出発点だったような気がしたのである。 その渋沢さんは、東横ホールに観に来て、片岡昌の人形の面白さと、宇野小四郎の演技の面白さ、そして私の演出の面白さを評価し、嬉しそうに帰って行った。 そう言えば、私は『マクベス』の片岡人形のことを記すのを忘れていた。『マクベス』の成功は、片岡の人形を除いては考えられない。『マクベス』の一寸前に、片岡は宇野の『盗まれた天文台』をやっており、その中で『マクベス』人形の方向性は既に顕われていた。更に言えばその前の『悪魔のおくりもの』にも、その兆候は出始めていたと私は思っている。 その頃、私共は安部公房に興味を持ち、花田清輝や岡本太郎に傾斜していた。そしてピカソを崇拝していた。そのピカソがアフリカの仮面や木彫像などに衝撃を受け、影響されたという伝説は余りにも有名であったし、岡本太郎さんがそのピカソに「日本にはアニメーション作家の大藤さんという優れた方がおいでですね。」と言われてショックを受けられたとか・・・。 そんな話が聞こえてくる中にあって、私は宇野小四郎と共に片岡に「ね、アフリカの仮面のような人形作って『マクベス』をやってみようよ。」「そして、音楽はモダン・ジャスとミュージック・コンクレートというシュール・リアリズム音楽をあわせて使ってみようよ。」 それに続いて私と宇野は音楽の秋山邦晴さんを口説くことにして、当時秋山さんのお宅があった明大前へ向かった。秋山さんは明大前駅近くの神社内の一寸オシャレな家に住んでおり、大きな犬を家の中に飼っていた。私と宇野が話をすると、秋山さんはすぐ話にのってくれた。いや、大乗りにのった!と言うべきだろう。私が「モダン・ジャズとミュージック・コンクレートでやりたい。」と言ったからかもしれないが、興奮気味に「やりましょう!」と言って貰えたその声には、傍にいた大きな犬も驚いた様子だった。 下記は一九六一年公演の『マクベス』のスタッフとキャストの主なところである。
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