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第1回 追記1 「鎌倉アカデミア学生による第1回試演会」 | |
清水浩二 Koji Shimizu |
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鎌倉アカデミア演劇科第一回試演会が、開校間もない一九四六年六月二十五日に光明寺開山堂で行われた。演目は菊池寛の「父帰る」一幕である。 |
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演出は東宝撮影所で演出助手をやっていた広沢栄一さん(二十二才、広沢栄のペンネームを持つ)。私は広沢さんに相談されて舞台美術のアイディアを出した。「バック一面に大きな防空用暗幕を張り、日常性を消し去る。その黒幕前に障子を四枚立てる。そして下手には襖を二枚、間を開けて部屋を囲むように立てる。襖の下手が玄関口で襖と襖の間から出入りさせる。あとは、古い柱時計を障子の上に飾り、古ぼけたランプを天井から部屋へぶら下げる。部屋には茶箪笥と卓袱台(ちゃぶだい)と座布団、茶器など適当に用意すれば大丈夫でしょう。」と言った。 すると広沢さんは、「なるほど。」と言われて、広沢組の人達に暗幕や障子などを借りるように手配し、大半の物は光明寺さんから借り入れて来た。 だが、広沢さんはセッティングの中で悩んでいた。舞台と客席が同一平面上にあり、かつ同じ畳で継がっている。所作台も二重もないし、幕もない。だが、私は違う感じ方をしていた。村芝居では、よくステージ上に村の有力者が座っている風景を見ていたし、江戸初期頃の歌舞伎では舞台脇の少し高い所に桟敷席があったり、舞台後ろの高い所には最上等の桟敷席があったことを思う時、プロセニアムの内側の世界を信じ込ませることが総てではないのではないか?と思ったりしていた。でも私は何も言わなかった。何故って、私の立場は、この演目の企画者であり演出者の広沢さんの仕事を支える立場だったからである。 でも、悩んでいた広沢さんに嬉しい情報が届いた。クラスメートの荒井満枝さんのお母さんが、素敵な幕を貸して下さるという。広沢さんの話によれば、荒井さんのお母さんは大正時代の高名な舞台女優の富士野蔦枝さんで、今回貸してくれる引き幕は、小山内薫や行友季風(代表作は「国定忠治」「月形半平太」)や長田幹彦(当時の流行作家)といった人達が富士野さんにプレゼントした幕だ、とのこと。広沢さんは一気に元気になり、その幕を運んで来た前田武彦、河合博一の両君の背を叩いて喜んでいた。 そして開幕した『父帰る』は、仲々の出来栄えで、客席の反応も良く、盛大な拍手のうちに幕となった。 この作品の配役は、父親を金田邦美さん(二十七才)、母親は三沢幸子さん、長男賢一郎は宮川晟君(十八才)、次男新二郎を増見利清くん(十八才)、妹おたねは山口麗子さん(十七才)だった。 |
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