第1回 追記4 「お十夜」
清水浩二 Koji Shimizu


 光明寺は浄土宗関東総本山なので、陰暦の十月六日から十五日の間、お十夜という法要を行う。(私の記憶では、お十夜は三、四日間しかやっていなかったように思えるが…)
すると、九品寺の辺りから光明寺の山門前辺りまで露店が並び、山門前の右側にはサーカスまで出たし、左側には余興の為の仮設舞台も作られた。そして本堂には泊まりがけで大勢の人が来るし、賑わいに誘われて鎌倉市内並びに近在の人達も押し寄せてくる。その賑わいは毎夜十時頃まで続くのだ。
「これは、金儲けするチャンス到来だぞ!ね、江田、キャンデー売りなんかやってみない?」と私が誘って、すぐにキャンデー卸しに交渉に行き、二日目から卸して貰うことにした。その帰り、私は露天の兄さんに因縁をつけられ、大あわてで耽美荘に逃げ帰った。


   向って左より
   渋谷龍 氏、筆者

と、私達の同居人になった渋谷龍さんが、
「どうしたんだい、渡辺さん?」
「露店の兄ちゃんに因縁つけられて逃げて来たんです。」
と言うと、渋谷さんは自分のバッグからドスを出して手拭を巻きつけ左手に握り走ったが、少しすると「件の兄さんは消えてしまってた。」と戻って来た。

  そこへ江田が帰って来て、「俺、サーカス小屋のところで、ヤクザに腕時計巻き上げられた。」
「なに?!よーし!」と渋谷さんはまた出て行こうとすると、江田は「もういない。時計とったらトンずらしちまったから…」
そのあと、我々三人は気分を切替て、おでんを食べ、お好み焼きを食べ、お酒を飲みお祭り気分をたっぷり味わった。そして夜になると、仮設舞台で演じられた博多俄(はかたにわか)を見て楽しんだ。そのあと、明日キャンデーが売れそうかどうか、本堂に泊まっているお年寄りの様子を下見しに行ったりして、その日は終わった。

  次の日の昼間は、キャンデー入れる箱を作った。でも、この労力とその為の費用は殆ど無駄になってしまった。というのは、キャンデーを箱に入れて売って歩いても買う人がなく、努力したが売れ残りが沢山となり、耽美荘で友人達とバクバク食べて、残りは処分してしまった。この思い付きは大失敗でチョンとなった次第である。
そもそも十月中旬は昼はまだしも、夜は一寸寒くなる。だからキャンデーは人気がなく失敗。だが、スリルに満ちた刺激的なお十夜ではあった。

筆者による「お十夜」風景画

  ここで一寸渋谷さんのことを記しておく。
渋谷さんは、侠客のように思われる一面があるが無頼漢ではない。心やさしい男気の頼もしい勉強好きで、写真には優れた才能を持っておられた。戦後間もない時代にドイツのライカを持ち、引き伸ばし機も持っていて、良い写真の出来るのを随分見せて貰っている。そして、ボロ小屋「耽美荘」が、文化的空間になった、という豊かな気持ちを味あわせて貰ったようにも思える。
  また、その後私の"ひとみ座時代"には、カメラマンになられた渋谷さんが、日本橋の白木屋ホールの『美女と野獣』公演に駆け付けてくれ、素晴らしい舞台写真を撮って頂いている。本当に渋谷さんにはお世話になった。
  その後、渋谷さんは、中央競馬会の『優駿』という雑誌に写真を提供されていたが、今は千葉県の千倉町にお住いで、静かに余生を過ごされている。

光明寺お十夜情報  (カワキヨコ記)

2003年10月12日夜 清水先生が耽美荘をあとにして以来久しぶりのお十夜。
写真 準備中です。

2004年10月15日

今年こそお十夜の露店の写真を・・・ということででかけました。しかし・・・

お十夜最終日、露店はありませんでした。そこで、光明寺境内の耽美荘が以前あったところで記念撮影。昔、鎌倉アカデミアの学生さんたちが授業を受けていた開山堂の前でもう一枚撮影。白いジャケットの方が清水浩二先生。本日は絵葉書のような青い空が印象的。一番右の写真は、光がふりそそぐ光明寺鐘楼。
左のしぶ〜いお店は、光明寺前のバス停付近にある八百善商店。耽美荘があった頃と変わらない佇まいだそうです。飲み物の自販機がピカピカなボディをみせびらかすように立っています。

お十夜の様子は、昔と今ではちがうようです。いつ行けば露店が見られるのか地元の方に調べていただきました。ありがとうございました。お十夜に初めてお出かけの方、普通のお出かけに満足できない方はこちらのサイトをご覧下さい。さらに鎌倉が楽しめます。
       ↓
★山ちゃんガハハ★ JOURNEY on the web
(お十夜に関する詳細ページ→http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/7037/Tsu/TSUO10night.html)

 




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