思い出のキャラ図鑑

           第1回 追記5   「ヴェデキントの『春のめざめ』と長田秀雄先生」

清水浩二 Koji Shimizu


 平成八年(一九九六年)五月十四日(火曜)、かつて鎌倉アカデミアのあった光明寺境内において西郷信綱先生揮毫の「ここに鎌倉アカデミアありき」と記された石碑の除幕式が行われた。
その時、同窓生で俳優をしている加藤茂雄さんが話しかけて来た。
「渡辺さん、久しぶりだね。」
「ほんと。加藤さんお元気そうで…。」

「渡辺さんも…。」
「まあね。」
「渡辺さんと言えば、『春のめざめ』の時のこと忘れられないよ。」
「あの第一回研究発表公演の時のこと?」
「そう」と加藤さん。
「あの時僕は、演助だったんだけど、実質的には何もしていなかったんだなあ…。」
「俺が役者になったのは、渡辺さんがトムさん(村山先生)に『校長の役は加藤茂雄くんがいいですよ。』って言ってくれたからなんだよ。」
「なんか俺、加藤さんの行く道を誤らせたのかな…?」

島田ルノアール展(鳥井菊千代氏蔵)にて学友たちと
向って左より
加藤茂雄氏、長島伊佐さん、宮川晟氏、筆者、関政雄氏

「いや、アカデミア受けた時は舞台装置家になりたいと思ってたけど、あの校長の役やってるうちに俳優の仕事の面白さを知って…」
「そうお?」

  ところで、この『春のめざめ』(一九四八年三月十三日〜十五日、日劇小劇場)公演。
演出・村山知義、メルヒオルは増見利清、ヴェンドラは山本操など。舞台美術・吉田謙吉、照明・穴沢喜美男、演技指導・遠藤慎吾で、三日間、六ステージの公演であった。
その『春のめざめ』の公演パンフレット(プログラム)に詩人で劇作家の長田秀雄先生の一文があって、私はその一文に魅入られた。そしてそれが後日、青江舜二郎先生も絶賛して下さった人形劇『マクベス』や、鶴屋南北の『桜姫東文章』を私が創る時のモチベーションになっていたのである。その長田先生の文章の一部をここに紹介しておく。先生への尊敬と感謝をこめて…


  長田秀雄先生
「無意識の領域」          長田秀雄

  悪魔のような哄笑と深刻な戦慄を舞台上に無慈悲に描いてみせた比類のない作者を私は寛政期(※注1)の歌舞伎の鶴屋南北と二十世紀の初頭の独乙近代劇の作家フランク・ヴェデキンド(※注2)に見る。
(中略)
  ヴェデキンドの作も南北の作も共に主人公が善悪の境界を超越した異彩ある人物である。彼等の行動は決して定理を以って律することは出来ない。怪奇と滑稽の交錯で観客を駆って一種の象徴の国へ追い込む。
(中略)
  私はこれらの傑出した作品から、人間の意識の底ふかく横たわる無意識の深淵を覗かせられて、思わず慄然とするのである。我々はこれらの作品から、決して古典的な均整や静寂の美を求めることは出来ない。そこに見るのは意地の悪い戯画であり、突詰めた人間の最後の姿である。
そこに出て来る主人公の行動には無意識界の怪奇な象徴が踊っている。
(後略)

※注1 化政期の間違いと思われる
※注2 ヴェデキンドの読みは原文のまま


 なお、長田先生を知らない人の為に、先生の経歴と私の長田先生第一印象を記しておこう。

 先生は明治十八年(一八八五年)、東京生まれ。学生時代に詩を書き、北原白秋や木下杢太郎と「『明星』の三羽烏」と呼ばれた。処女戯曲は『歓楽の鬼』で明治四十四年に小山内薫の自由劇場で上演されている。他に評判の高かった戯曲に『大仏開眼(だいぶつかいげん)』『石山城開城記』などがある。また、映画化作品としては『太陽は東より』監督・主演 早川雪舟、共演は田中絹代、吉川満子、斉藤達雄ほか。
『女優須磨子の恋』(カルメン逝きぬ)は監督が溝口健二、須磨子=田中絹代、島村抱月=山村聡、坪内逍遥=東野英治郎、武田正憲=千田是也、抱月の妻=毛利菊江、中村吉蔵=小沢栄太郎など。
そして『大仏開眼』は、監督・衣笠貞之介、音楽・団伊玖磨、美術監督・伊藤憙朔、出演は長谷川一夫、京マチ子、水戸光子などであった。
 私が先生に初めてお会いしたのは、一九四六年の五月二十日(月曜)だったと思うが、月日に関する記憶には自信がない。その時、先生は六十一才だと思われるが、白い顎髭をダンディに生やした金ぶちメガネの飄々とした小柄な老人であった。たしか最初の講議は松井須磨子と芸術座のお話だったと思うが、驚いたのは、大劇作家長田先生の字の小ささとユニークさであった。作家なので字は上手な筈だと思い込んでいたので、私はビックリしてしまった。私はかなりの悪筆だが、その私以上で、その上小さな字が黒板に斜めに書かれる。近くへ行って首を曲げて読まないと読めない感じがしていた。

 この長田先生は、私が先生と同じ長谷大谷戸へ引っ越した年、昭和二十四年の五月六日に、六十四年の生涯を閉じられたのである。『春のめざめ』公演の翌年春のことである。
個人的にお会いして教えを乞おうと思った時には、もう手遅れであった。


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