思い出のキャラ図鑑

    第22回 「ロサンゼルスの思い出4 国際フィルム博覧会とクリス・コロンバス(Chris Columbus)さん
清水浩二 Koji Shimizu


1. 国際フィルム博覧会

 一九八三年四月十三日(水)の夜、Beverly Hilton Hotel 大ホールで「国際フィルム博覧会」があり、そこに我々も招待された。だがタキシードのない我々七人(池内辰夫、大塚康生、近藤喜文、友永和秀、てらだまさお、山本二三、清水浩二(筆者))は、 Sunset BLVD にある Tuxedo Rental Shop に行き、タキシード、Yシャツ、蝶ネクタイ、靴下、靴まで一式を借り出した。(サイズは全て前もって計って貰っている。)

写真左
レンタル・タキシード店で
向かって右より 友永和秀氏、池内辰夫氏、
大塚康生氏 、 近藤喜文氏、筆者、
向かって左に立っているのは てらだまさお氏
(写真中央で背を向けているのはマネキン人形)

写真中央
ガスキル夫妻

写真右
TMSスタジオにて
向かって左より
池内辰夫氏、筆者、山本二三氏、友永和秀氏


  そして、ハイランド・ビルの事務所に戻って正装していると、"リトル・ニモ"のアメリカ側演出家・アンディ・ガスキル(Andy Gaskill)さんとその夫人及びアシスタント二名の四人が現われた。
そして、賑やかに談笑したり、記念写真を撮ったりしていると、リムジン(Limousin)が迎えに来た。
我々はエレベーターでビルの裏の通りに行き、二台のリムジンに分乗した。私と同乗したのは池内さんと大塚さんのような気がするが自信はない。
  リムジンにはテレビがあり、冷蔵庫があった。滑るように発車した車中で池ちゃんが「アンディ・ガスキルがディズニーランドの"カリブ海の海賊"のイメージ・プランナー」と教えてくれたように記憶している。
  とにかく「乗り心地がいい。」などと喜んでいるうちに、リムジンはビバリイ・ヒルトンの玄関口に到着。車を降りると、大勢の報道陣に取り囲まれ一斉にフラッシュを浴びながらの入場であった。生まれて初めての体験だったので私は一寸興奮した。

 入場すると、スティーブ・レイバさんが来て案内してくれ、幸っちゃんやノートン・バージームなどと一緒になった。そしてご機嫌で話しているうちに、突然ビッグバンドの演奏するカウント・ベーシーの"Jumpin At The Woodside"が急速なテンポでエキサイティングに響き渡ると、瞬く間に音楽にのってオーケストラ前に出て行って踊り出すカップルが増えてゆく。前に出て踊れない者は、立上ってその場で踊ったり、アメリカ人の陽気さが瞬間にして爆発した感じとなった。そうしてオープニング曲が終り、万雷の拍手の中を司会者が出て来て型通りの開会の弁が終ると、再び演奏となった。でも今度の曲はBGM風な静かでスローな曲なので充分お喋りの出来る感じで、お喋りをする人、カップルで静かに踊る人など、全体に自由でゆったりとした楽しいパーティとなって、私も心から愉しめた。

 なお、この「国際フィルム博覧会"The International Film Festival"」に私達を招待するようお骨折り頂いたのは、ゲーリー・カーツさんとそのアシスタントのスティーブ・レイバさんである、と聞いている。

2. クリス・コロンバス(Chris Columbus)さん

 時は一九八五年の五月上旬。その時、クリス・コロンバスさんは26歳の青年ライターだったが、話によると、二年前の二十四才の時、スティーブン・スピルバーグに学生時代に撮った短編(オリジナル)を観てもらい"驚異の天才"と絶賛され、「それをふくらませてみたら・・・」と言われて出来たのが"グレムリン"。続いて、スピルバーグ原案の"グーンキッズ"というストーリー・プラン"をもとに話合いを重ね、ニューヨークへ帰って書いた"一人一人が個性的な少年少女の冒険物語。それが"グーニーズ"です。」
「いまのお話で、最近のお仕事の状況は解りました。ただ一つ、お聞きしたいのですが、映画と言えば、ロサンゼルスのハリウッドが中心なのにどうして、ニューヨークに仕事場を置いてるんです?」と私が訊ねると、
「ニューヨークが好きだからです。」
「ゴミゴミしてません?」
「してます。」
「それでも?」
「はい。特に私の仕事部屋などでは、夜ともなると天井裏のねずみたちで賑やかです。でも、それが私には、子ども達のように感じられて落ち着くのです。」
「なるほど。私にも解るような気がします。・・・ところで、クリスさんは、”リトル・ニモ”のどこがお好きなんです?」
「第一に、私は子どもを主人公にした映画が好きなんです。スティーブン・スピルバーグも同じだと思います。特に、あの”E.T.”の面白さ・・・少年たちが警察官たちに追われ、小さな宇宙怪獣E・Tを自転車に乗せて必死に逃げる。そしてもう追いつかれて捕まるかと思った瞬間、自転車ごとE・Tも少年も友達も一斉に空に舞い上がる―――あのクライマックスが最高でした。また、E・Tのような異なる世界の怪獣が現実の日常生活の中に突然現れるのも大好きです。そういうベーシックなドラマツルギーを踏まえた上での、意外性や感動の表現にはとても魅かれます。”リトル・ニモ”も少年を主人公にした夢の話で着眼点と絵は面白いのですが、ひと夜の夢が短く、夢の話なので意外性ももうひとつ意外ではないのが残念です。だから、作家としては・・・・・そそられるものがあるのです。”自分ならこうしたい!・・・”と。以上です。」

「よくわかりました。先程お預かりしたオリジナルのシナリオを読ませて頂くと同時に、うかがったお話なども参考にさせて頂いて、後日お返事申し上げます。どうも本日はご苦労さまでした。」と藤岡氏が言ってその日のクリスとの話は終った。

そしてその翌日、クリスの持ってきたオリジナルのシナリオを読んでから私と藤岡さんの話し合いが始まった。

「清水さん、どうですか、クリス・コロンバスって・・・?」

「今まで十人を超える人が候補に上がったけど、私の感触では、クリスほどベーシックなものを大切にしていて、感性が柔軟なライターはいなかった。また人柄も爽やかだし・・・そのうえ、子供中心のものが好きなところが良いよね。”リトル・ニモ”にピッタリじゃないの。」と私は、クリス・コロンバスを強く推した。
だが、藤岡さんは、”リトル・ニモ”を子ども物とは考えたくないらしく、「クリスは”ニモ”を子どもの物と考えているようだ。今まで苦労してやって来ているのは、単なる”子ども中心物”にしたくないからだ・・・大体、清水さんもおかしいですよ。スピルバーグが紹介してくれた人だからって、やたら甘くなっちゃって・・・いつもシビアな清水さんはどこへ行ったんです?」

 「私は、”いいものはいい”と言ってるだけだよ。クリスは拾い物ですよ。クリスはスピルバーグに似ています。無論クリス・コロンバスは若いけど、若い故の長所とスピルバーグに学んできたベーシックな作劇術を身につけている得難いライターです。この人を逃がすと、多分もう良いシナリオライターは発見できないかもしれません。よーく考えて、結論を出して下さい。」

  クリスとの2度目の話し合いは、オークウッドのスタジオでだったが主に事務的な話であった。そしてその後私は東京での仕事に追われることとなり、ロサンゼルスには翌八十六年の五月末まで行けなくなってしまったので、クリスさんと藤岡さんがどうしているのかも、話がどうなったのかも解らなくなっていた。それでも翌八十六年の二月中旬にはクリスの第一稿を読んだ記憶がある。そしてその読後評は私の手帳に次のように記されている。  

1)  もっと説得力ある感動的なクライマックスを望みたい。
2)  夢の動機とナイトメアのキャラや能力設定の関連性を熟考して欲しい。
3)  現実世界と夢世界が交互に展開する場合に留意しておくべきこと(例えば同一人物が直結している次のカットに出すことの難しさなど・・・)不必要な混乱は避けるべきである。(狙いがあっての場合は除くが・・・)
4)  ニモの父親が失業していて酒におぼれているのは、如何なものだろう?アニメで子どもが主人公の作品なのに・・・プロデューサーは気にならないのだろうか?
5)  「禁断の扉」の使い方と王錫のパワーの使い時などももう一寸上手に出来ないものだろうか・・・

その三ヶ月半後の五月二十四日(土)にクリス・コロンバスの改訂版を私は東京で受取り、読後の感想をメモし、更に原稿用紙に批評文を書き、それを持って五月二十九日(木)十七時四十五分発のSQ12便でロスへ向かった。そして次の日(金)のA.M.11:35ロス空港着。その午後1時45分から"クリス脚本"をめぐってのミーティング。出席者には、藤岡、池内、出崎統、西山カオル、眞野通訳、筆者の六名。場所はロイドの藤岡邸。夜8時からも第二回目の打合せ。レギュラーメンバーにバリー・グラッサーも加えた七名。場所は同じロイドの藤岡邸。
次の三十一日(土)はP.M.1時よりTMSスタジオで・・・メンバーは、前日夜に同じ。
六月一日(日)は、仕事休みで、夜、藤岡、池内、出崎、常田、筆者の五名は、ウエスタン・アヴェニューの焼肉店(ロサンゼルスの思い出1)で紹介した"ウ・ラエ・オークオブソウル"へ食べに行っただけ。
その後、六月二日(日)、四日(水)は前記のメンバーで、クリス・コロンバス脚本検討をしているが、何故か三日(火)が記されていない。私の手帖にも、池内さんからの貴重な記録写しからも、三日(火)には何も書いてないのだ。どうして・・・?ミステリアスなことである。
そして、六月五日午後一時四十五分、ロサンゼルス空港発のSQ便で、私は成田へ向かった。
したがって、クリスが六月六日(金)に改定稿二稿上りとなり、池ちゃん(池内さん)が受け取ったのは、六月十三日(金)で日本語訳は羽沢さんだそうだが、藤岡さんはその最終稿も気にいらないらしく、何もコメントせず、クリスにあうこともしなかったという。クリスは、返事をききたくてニューヨークからロスに来ていたが、二日にわたって訪ねても会えないので、ニューヨークへ帰ったという。
  しかし、その後私の知らないところで藤岡さんは、クリスの作品の部分的使用を考えたらしく、試写会で見せて貰ったプリントには一部クリスのシナリオが使用されていたし、スタッフの名前の中にも「クリス・コロンバス」の名もあった。


 クリス・・コロンバスは、一九五九年生まれ。生誕地は、ペンシルバニア州。育った所はオハイオ州の工場街。
出身校はニューヨーク大学映画学科・監督コース。
今までのクリス・コロンバスの主な作品は
”グレムリン”(一九八四年・スピルバーグ製作総指揮)
“グーニーズ”(一九八五年・スピルバーグ製作総指揮)
”ヤング・シャーロック・ピラミッドの謎”(一九八五年製作総指揮スピルバーグ)
以上はシナリオライターの仕事です。
以下は監督の仕事です。
“ベビーシッター・アドベンチャー”(一九八七年・監督デビュー)
そして、あの大ヒット作”ホーム・アローン”(一九九〇年・監督)
”ホーム・アローン2”(一九九二年・監督)
ヒットコメディー”ミセス・ダウト”(一九九三年・監督)
そして、最近の大ヒット作“ハリー・ポッターと賢者の石”(二〇〇一年・監督製作総指揮)
”ハリー・ポッターと秘密の部屋”(二〇〇二年・監督製作総指揮)
そして二〇〇四年公開予定の”ハリー・ポッターとアズカバンの囚人”の製作総指揮をしている。
  もはやクリス・コロンバスさんはアメリカ映画界では押すも押されもしない不動の大物映画人になったのである。彼は今年(二〇〇四年)で45歳の働き盛りである。



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