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第二十四回 「片岡昌さん」 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
清水浩二 Koji Shimizu |
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後藤鎌倉彫の話題が長くなったが・・・私が知る限り、片岡昌は「ひとみ座」の劇人形の九〇パーセントを作って来た人形作りである。人形を作り始めたのは、一九五〇年の春からなので、もはや五十四年劇人形を作って来た大ヴェテランなのだが、決して偉そうにはしない人柄で、若い頃からこれ程印象の変わらない男も珍しい。
先ずは一九五一年(昭和二十五年)の初秋の話だが、ひとみ座が私の作・演出の「イワンが貰った金貨を生む小山羊の話」を持って宮城県巡演に行き、古川市の北の外(はずれ)の千葉兵衛という木賃宿に宿った折のことだが、人手不足で上演班に参加していた片岡が体調を崩した。見かねた中村愛子が負(おんぶ)して医者へ連れて行った。その間「痛いよ、痛いよ。」と泣いていたことは忘れられない。片岡昌は、こういう素直さと子供っぽさも持ち合わせている男でもあるのだ。
無論、宇野のことだから、これは芝居をしてタノシんでいるのである。 その頃からである。山田珠樹家の離れの二階八畳の私の所に、夕方になると片岡が現われ一緒に夕飯を食べるようになった。 この片岡昌と宇野小四郎はいかにも鎌倉人らしい鎌倉人のように私には思える。宇野は神経質で気難し気だが、突飛な面白い事をやり出したりするユニークさは抜群で、「鎌倉人だなあ」と思わせてくれて楽しい。そして片岡には神経質な感じは殆どなく、のほほんとしている面で「鎌倉人だなあ」と思わせるし、結構楽しそうに笑うので周りを楽しませてもくれる。彼の仕事の時のピリッとた緊張感漂う空気とはかけ離れているとも言えよう。 ところで、片岡昌の仕事と言えば、周知の如く劇人形作家である。私は随分彼と一緒に仕事をし、信頼できる作家の一人でもある。私の演出で片岡昌が人形と美術を担当した作品は、「ひとみ座」でのテレビも含めての二十三本と、劇団人形の家での種村季弘作『ファウスト』(パルコ劇場20ステージ)の二十四本である。その中の主な作品は、下記の如くである。
片岡は劇人形をデザインする前に上演台本を読み、各登場人物の性格や身体的特徴や年令、職業(あるいは学歴)、家族、そして特技などを探り、かつ作者の感覚を捉え、作品のスタイルをキャッチする。それから演出者と話し合う。演出者がその作品をどう捉え、どんな風に表現しようとしているのかを訊ねておかなければならないからだ。そしてそれら総てをクリアしたところで、デザインに取り掛かる。この作業を一寸厄介に思われる人もおろうが、これが共同芸術であり総合芸術である演劇の仕事の宿命でもあるのだ。 こんな片岡に対し、一般的な創作人形作家の場合は、その作家の内的なものが形象化されるので情念的になりがちに思える。誤解のないように言っておくが、私は情念的なものを否定しているのではない。エロティシズムと共に「現代」を語るのに欠かせないもののひとつとさえ思っているのだから・・・。渋沢龍彦は「現代信じられるものはエロティシズムだけだ。ハンス・ベルメールの人形はエロティシズムそのもので、まさに現代的である。」と言っていた。片岡昌は風貌的には渋沢に似ているが性格的には正反対だ。片岡の作品は明るく男性的であり、六〇年代、七〇年代の申し子のような作風であるようにも思われる。彼の作品を私は初期の頃から劇人形に限らずずっと観てきたが、片岡のアクチュアリティーの面での感性がややパターン化されているように感じられることがある。作品の出来不出来は技術面だけではないから、こんな時私は、頭脳よりも感性で時代を捉えてくれたらなァ・・・と思うこともあった。 でもその片岡昌が人形劇の人形ではない「シチュエーション・アート 埋もれし時」という企画を一九九八年から埼玉県越生町龍ヶ谷の築後一三〇年の民家ギャラリー山猫軒で、二〇〇四年末までに四回催した。私は二回目の一九九九年の十月十日に観に行っている。JR八高線の越生駅で降り、バスに乗って6km位先にある上大満停留所で降りると、そこからなだらかな坂道を2.5km位上がって行くと、右側に建つ古めいた民家「山猫軒」が姿を見せ始めた。その少し前から片岡が姿を見せ、急ぎ坂を下りて来た。「いらっしゃい。こんな遠くまで来て貰って-----」 そして内へ入ると、山猫軒のご主人の南達雄さんを紹介してくれた。 南さんという人はプロのカメラマンなのだが、「色々なところを撮っているうちに、この一三〇年たった民家に出会い、趣味のジャズをこんな所で思い切り聴けたら・・・と思い民家を買い取り、"民家ギャラリー山猫軒"としたわけで・・・」と説明してくれた。そしてその後、私の「片岡とはどういうことで・・・?」との質問には「片岡さんとは、ジャズ・スポットで一緒になって友達になったんです。妙に趣味があいまして・・・」と語ってくれた。そう言えば、私が山猫軒にいる間も殆どモダンジャズがスピーカーから流れていた。私も嫌いではないし、就中、ジョン・コルトレーンのファンだったので、「もう少し近ければ、しばしば来てみたいところだ」と思った位であった。 この「山猫軒」の「埋もれし時」には、片岡昌の昭和ひと桁生まれの側面が見られて楽しかった。 そして今年(2004年)は、九月二十七日より十月三日まで横浜市中区吉田町のリーブギャラリーで行われた片岡の展覧会の作品「ちまた」を見に行った。巷の中のコミュニケーションがテーマの作品だが、彼の話ではコミュニケだけではなく、様々な現代風景を批判的に表現して行く。」とのことだった。今後の「ちまた」が楽しみになってきた。 |
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