第7回「吉田健一先生と西御門(にしみかど)の山田邸離れの思い出」 | |||||||
清水浩二 Koji Shimizu |
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あれは、たしか一九五四年(昭和二十九年)三月頃だったと思うが、私を含めた「ひとみ座員」四名が、鎌倉市西御門にあった山田珠樹(やまだたまき・元東大名誉教授)邸の離れの二階(八帖二間)へ引越した。 二月中旬位に、山田家の次男亨(とおる)さんから電話で呼び出され、駅前の喫茶店「扉」で会った時「ひとみ座さん、坂ノ下の宇野さんの家失ってしまって困ってると、人伝に聞いたけど、もし、よかったら西御門の離れを使わない?二階の二間空いてるから・・・」「でも、家の人達は大丈夫?我々貧乏人だけど・・・」「大丈夫。ちゃんと話してあるから・・・」 そんなやり取りで話が急転直下決まり、三月上旬から入居となったのである。 |
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スピッツが悲鳴を上げた。と、部屋から、一寸むさくるしい感じのインテリ風の小父さんが血相変えて出て来た。 「何をしたんです!?うちの犬に・・・?」 「噛みつかれたから蹴飛ばしてやったんです。」 「こんな小さい可愛い犬を、君はよく蹴ったり出来るね。」 「ぼくの足に噛みつくから蹴飛ばしたんですよ。小父さんも部屋の中で犬を飼うんなら、戸ぐらいキッチリ閉めておくべきでしょう。そういう管理も出来ないんなら、外で飼うか、犬は飼わないことにするのか、そのどっちかにして貰いたいよね。」 この時以来、スピッツは小父さんの部屋の中に閉じ込められたままとなり、私達が帰宅すると吠えてはいるが、階段の下まで出てくることはなくなった。そうなって良かったような、でも寂しいような気もした。 この話を一ケ月位して亨さんに話した。 「君、知らないの?」と亨さんが言った。 「何を?」 「あの人、誰か?」 「知らないよ。」 「呆れた。あの人、吉田茂首相の息子さんの吉田健一さん。」 「じゃ、あの・・・僕の学校で英文学の教授やってた人?」 「そうだよ。会ったんだろう、吉田さんとは?」 「会ったよ。」 「会っても判らないの?」 「余り講義に出てなかったから。だから僕の方も吉田先生の方もお互いに知らない同士で、同じ屋根の下の上下に住んでるってことかな。」 ―――そう私は言って、その時は終わった。 吉田健一先生は、一九一二年、東京生まれだが、外交官の父・吉田茂が日本を離れることが多かったので、生まれて間もなく母方の祖父である牧野伸顕の家に預けられた。祖父・牧野伸顕は大久保利通の子であり、内大臣として昭和天皇を補佐された人でもあったが、孫の健一をこよなく愛し育てたようである。そのせいか、吉田健一の『交遊録』のトップを飾るのは「牧野伸顕」である。「その家に生まれて牧野さんが八十九才で死ぬ時まで途切れもなくて付き合ったのであるから、これは多くの友達の中で一番の旧友であることになる。」と書いておられる。 私は最近になって、吉田健一著作集・第二十七巻中の『時間』を読み、「一頭の犬でも一冊の本でも或は一人の人間でも・・・」というところに来た時、ドキッとした。「一頭の犬」「一冊の本」「一人の人間」の順番にハッとしたのだ。「吉田先生って凄い愛犬家なんだ・・・」そして、その続きの「それとともに過した時間は現にそこにあり、それであるからこそ懐しくも又親しみを覚えるのであって、もしその過去の時間が経って来ないものならば親みも覚える訳がない。」というのを読み、あの白い犬の一件が、私には忘れ難い傷となっていて、あの時の吉田先生のお顔が未だに浮かんでくるときがある。そして同時にあの頃の場所や風俗や景色なども懐しくよみがえって来るのだ。
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