対談日:2003年5月 記録:カワキヨコ
宇野 |
これは、「人形劇をやろう」というのが先だったんですか?それとも人形の家というのを作るのが先だったんですか? |
清水 |
僕はその頃、ひとみ座を辞めて、いろんなことをやってたんです。広告代理店のブレーンをやったり、セルアニメのシナリオチェックをやったり…漫画映画の演出も何本かやってます。コマーシャル・フィルムを作ったりもしていたんですよ。 |
宇野 |
ええ。 |
清水 |
それで、高山英男さんが、僕に「ああいうことやってるだけでは、よくない気がする。出来たら清水さんには人形劇やってもらいたい。」というのがあって、彼は仲間たちと話をして僕に会いに来たんです。 |
宇野 |
ええ |
清水 |
その時に高山さんは、「僕で役に立つことだったら何でもお手伝いしますから、人形劇やっていただけませんか?」って言われたんです。 |
宇野 |
ええ |
清水 |
でも、人形劇やるって「何をやるんだ?」と…まず考え、本は寺山さんに書いてもらおうと決めたが、具体的にはどんな世界を描いて貰うかが決まらない。で、家へ帰って「何かいいアイディアないかね?」って聞いたら、家のかみさんが「”人魚姫”がいいんじゃないかしら。女の人は好きですよ。」っていうから…「あっそうか」と思って…そのあと早速、高山さんに話したら「いいんじゃないの。」ってことで、突然”人魚姫”になって…その翌日、寺山さんと会うことにした。寺山さんはすぐにOKで、書いて貰う事になったんです。でも、「それをやる劇団を作るんだけど、何かいい名前ない?」って聞いたら「人形の家」ってつけてくれたんです。…人形の家っていうのは、イプセンの「人形の家」もあるし、ミニチュア遊びのもありますよね。家があって…人形があって…という玩具の… |
宇野 |
ドールハウスですね。 |
清水 |
ええ、「それなんかもひっかけてやったら面白いんじゃないかな」って言うから…「そうだね。それじゃあそれにしましょう」っていうんで… |
宇野 |
ああそうですか。いいネーミングですね。 |
清水 |
ええ、結局寺山さんで『人魚姫』をやる事になったら美術は宇野亜喜良さんしかいないと…そこへ行ったワケです。寺山さんと宇野さんは新書館で一緒にやってらっしゃった事もあって… |
宇野 |
ああ、そのあとですね。 |
清水 |
ええ、それで、私は勝手に想像して宇野さんの人魚姫はステキだろうなと思ってて、もう他の人の人魚姫は考えられなくなっていたんです。 |
宇野 |
ええ |
清水 |
あの頃は、宇野さん、西武線の方にお住まいで… |
宇野 |
鷺宮っていうところにいて…そちらには来て頂いたことがないですか? |
清水 |
一度伺ったことがあります、黒い外観の家に。その時は、水田外史さんと一緒でした。人形の家を作る前ですね。 |
宇野 |
ああ、そうですか。それが、人魚姫以前… |
清水 |
そうです。だから、原宿に『人魚姫』のお願いに伺った時は、まったくの初対面ではなかったんです。 |
宇野 |
今、これ(下男のムニエルの写真)見ていて思い出しました。『話の特集』で寺山さんの『千一夜物語』の第1回目でこれを描いてるんですね。カフスのところがつながってる… |
『人魚姫』の下男と同じことをやってたんですね。…こういうちょっとナンセンシカルでシュールなことが人形でやっちゃって、逆にあとから演劇的な必然性というか…これが少し意味がつながるようなことをやってもらえないかと思って勝手にデザインしたんですけど、清水さんにはそれをそのままちゃんとやってもらって…首が伸びるようになったんですね。 清水 |
そうですね。縮んだり伸びたり… |
宇野 |
だから、絵画的なナンセンスな味が演劇的に変わるっていうのが…ここで面白いなって… |
清水 |
なるほど。 |
宇野 |
これ(人魚姫の下男ムニエルのデザイン)は『話の特集』よりもうちょっと後なんですね。寺山修司でつながって…これの公演が67年ですね? |
清水 |
そうです。1967年の夏からですね。劇団を作ろうとしたのは、3月か4月の辺なんですけども公演は7月の半ば位からかなあ…紀伊国屋ホールが最初で、それから厚生年金小ホールでやって…またあとで紀伊国屋ホールをやって…紀伊国屋ホールは2回上演してるんです。 |
宇野 |
あちらでもありましたよね。西口の方の… |
清水 |
ああ、朝日生命ホールですね。…そうだ、一番最初やったのは朝日生命ホールでした。 |
宇野 |
そうですね。 |
清水 |
朝日新聞に話をして、朝日新聞主催でやってもらったんですよ。前にお話したかもしれないけれど、舞台装置が間に合わないような有様で…その上、大変重いんですよ装置が…日綜美(にっそうび)っていう木馬座をやってた人たちが木馬座を辞めて…最初の仕事にこれをやらせてもらえないかっていうんで… |
宇野 |
ええ |
清水 |
木馬座でいろんな仕事やってきてるだろうから大丈夫だろうってことで頼んだんですよ。ところが余りにも重いんでモタつきまして、2時間かからない筈の芝居が3時間を越えたんです。開演も遅れるし、転換時間はかかるしで…。だから宇野さんが初めて厚生年金に観にいらっしゃった時、開口一番「今日は大丈夫でしょうか?」っておっしゃった。 |
宇野 |
でも、大丈夫でしたよね。 |
清水 |
ええ、大丈夫でした。あの朝日生命ホールの時だけでした。もたついたのは…。 |
宇野 |
やっぱり、結果で言うと、舞台上の効果っていうのを計算しつくして、舞台上で効果的な造型なり演技なりっていうことが必要だとは思うんだけど…それ以前に僕は人形を作ったり芝居をしたりっていうことに対するマニアックな自分自身の意識と別なもの…何か突き動かすっていうのか…何だか解らないけど、一生懸命やってるっていう感覚がないと人形劇は面白くならない。たとえ見えない部分でも”創ってる”という精神が必要だっていう…マニエリスムって、そういうようなことだと思うんだけど…それがないとね。でも、芝居なんかに関しては、たとえば六代目(六代目・尾上菊五郎)なんかは、「舞台上の効果を考え、あんまり細かいことをするな」とかっていう考え方もあると思うんですけど。計算通りっていうのは、何だか見てて…やっぱり僕は造型が少し深く入り込んでいる方が面白いっていう気がしますよね。 |
清水 |
人魚姫でもね、指を1って出すところがあるんですが…「1つだけコトバを喋れる」と言いたくて…。ところが、その1つが「マリー」っていう恋がたきの女性の名前なんです。それを知らない人魚姫を思うと切なくなりますね。その辺りが、寺山さんのうまい!って思えるところです。 |
宇野 |
ええ。 |
清水 |
その1本指を出すのは、人魚姫のウレタン製の指の中にヒューズを入れていて、指を出す寸前に、急いで他の指を曲げます。手を下へ降ろしてる時に手遣いの人がその形を作るんです。 |
宇野 |
そうですね。 |
清水 |
で、その細い指が客席の一番後ろからでもちゃんと見える。 |
宇野 |
人形遣いが人形に”そこまでの何かが隠されている”ということを知ると、扱い方も変ってきたりする…決して無駄ではないですよね。 |
清水 |
無駄ではないです。今人魚姫の細い指で思い出したんですが…ジュサブローさんは、スパンコールを目の下に一つだけ貼ったりしていましたね。人形が、動いた時に一瞬ピカッと光ったりする。ただ普通に見ているとわからないけれども、光の中で動くと見えてくるんですね。そういうのってやっぱり悪くないなって思います。 |
宇野 |
…文楽の人にこの前も聞いたんだけど、「それは、僕は知りません」て浄瑠璃の人が言ってましたけど…昔の台本で…例えば男が女を口説く時に、「足遣いの人が股間にこぶしを入れる」って書いてあったんですが… |
清水 |
ああ。 |
宇野 |
勃起してる状態を人形を遣う連中がやって…それは形の上で着物がふくれる訳でも何でもないんだけど…それをやってるっていうことでグッと気迫が違うっていうか… そういう形而上学的なことも影響するっていうか…人形の作り方っていうのも…効果があるかどうかは、計算外のところで人形が良く出来てるっていうことだけでも必要じゃないかというような事を多分言ったんだろうと思いますね。 |
清水 |
結局人形劇っていうのは、人形があって劇がある。劇があって人形があるんじゃないんですね。だから人形劇の始まりが…芝居をやってる人が…人形でやったらどんなにいいだろうっていうことで人形劇が始まったんじゃない。そうじゃなくて人形を一生懸命作る人がいたり、宗教にからんで人形を作って祭ってるとか…それを、「ちょっとこうやって動かしてみると面白いかなあ」って思うっていうのが人形劇の始まりなんじゃないですか。 |
宇野 |
そうですよね。 |
清水 |
だから、人形が先なんです。劇が先じゃない。そこのところがすごく大事なところで…勿論、昔、宗教で神様とか、すごく貴い人などを人間が演ずるっていうのはよくないと… |
宇野 |
人間の生理をもっていくというのが… |
清水 |
ええ、生理的なものが全部出て来るっていうのは…人間だからそうなんで、神様にはそういうものはない。だから、神に近づく為には浄化しなきゃいけない。浄化したものということで、生理のない人形が良いだろうとなって、人形が登場して来たんですよね。 |
宇野 |
ただ物質的には人形は生理を伴わないものっていう存在ではあるワケだけど、精神的なものが造形化され人形に投影されますよね。 |
清水 |
ええ、されますね。 |
宇野 |
その造形化がいやらしいと、人形もまたいやらしくなったり、品の悪い美学のない人の作った人形は、人形もきっとそれがそのままになっていくんじゃないか…そうすると、役者がうっとりとやってる芝居が観客にも心地よく伝わって拍手をしたい場合と、「何で自分だけがうっとりしてるの」「息も切らせないで一気にセリフを言うことってそんなに良い事なの?」って事になりますよね。 |
宇野 |
そうですね。 |
清水 |
その辺が不思議なもので…全部出ちゃうんですよね。だから神の人形を作る人は、斎戒沐浴(さいかいもくよく)して作ってたと思いますね。 |
宇野 |
話がちょっと変りますが、ジョアン・ミロが作った美術で…スペインの劇団が芝居をやってるのを観たことがあるんですけど… |
清水 |
ええ。 |
宇野 |
造形的にはミロのオブジェ…巨大なものが動いたり、動かしたりするんですけど…何だか面白くないんですね。台本に美術家をエキサイティングにする何かがなかった場合とか、いろんな場合で…役者とか…演出家とかもダメだったとか…ミロのものは造形的に色っぽいんだけど…演劇的な成果は挙げられない場合っていうのはありますよね。 |
清水 |
ありますね。 |
宇野 |
そういう感じでしたね。何か、オブジェとしてとかアートとして見てる時の方が感動があるのに、それが演劇的に…動き出すと面白くないっていう…だから、それぞれのコラボレーションがうまくいかないと…お互いの感性がさらに盛り上がっていかないと…そういう事が演劇っていうのにはありますよね。 |
清水 |
ありますね。役者でも、セリフに触発されてイメージがグーと広がるとか、美術家だって当然そういう事ある筈ですよね。台本を読んで「これいいなあ」と思う。するとどんどんイメージが沸き出てくる。…だからイメージが出ないっていうのは美術家がダメなんじゃくて、元の台本がダメなんじゃないかとも考えられますね。それがコラボレーションとなると、台本上のことだけでないファクターも色々と出て来ますのでねエ…。 |
宇野 |
そうですね。台本を読む時、その日の朝食が不味かったりとか… |
清水 |
ハハハ…鋭い分析ですね。 |
宇野 |
そういうのがあったり…気持ちよくそれに入り込める場合と、生理的に入り込めない場合とか… |
清水 |
ありますね。 |
宇野 |
だから、いい舞台が出来て、いい作品が出来るっていうことは、いろいろな意味で幸運に恵まれないと… |
清水 |
そうですね。 |
宇野 |
ちょっと家で喧嘩をして出て来てから台本を読んだ時とかも、違うでしょうね。 |
清水 |
違いますね、それとこれは、僕なんかが不器用だからそうなるのかもしれませんけども…一つの作品をやり始めますと… |
宇野 |
ええ。 |
清水 |
次の別の作品には簡単に移れないんです。結局前の作品を引摺っちゃってるんですよ。だからしばらく…前のを忘れるまで待たないと次のに入れない。宇野さんの仕事はそういう風にしてると仕事にならないっていう事がおありじゃないかと思いますけれど… |
宇野 |
僕は割と切り替えがうまいワケではなくって、浮気っぽいんじゃないかと思うんです。何かやってる時に他の事をやりたくなるというか…ある方向を決めてこの絵を書いてるんだけど…違う材質に変えてみたらどうなるのかとか…そういう意味で気が変りやすい。 |
清水 |
ああ… |
宇野 |
一つのテーマをいろんなやり方でやってみる事が好きとか…完成度よりも変化を色々つけると弾みがつくっていう… |
清水 |
僕とは、体質が違うんですね。僕はかなり入り込まないと、どうにもならない。 |
宇野 |
そうでしょうね。 |
清水 |
そうじゃないと、ただ手慣れた感じで適当に処理しちゃって…格好にはしますけどね… |
宇野 |
時々思うんだけども、絵というのは何の感激もない、ただ平らに塗ってるだけという様なところがあって…絵の敷目の中全体が全部波うって興奮してないといけないかっていうとそうでもなくて…単純な塗り方のところがあっていいっていう…何の分析もコンセプトもなくって。でも演出の場合には、役者が勝手にしゃべっていけばいいっていうワケにはいかないっていう、全部演出ノートが必要だっていう… |
清水 |
それは非常に難しい問題ですね。自分が全部綿密に作ってて、それを相手に伝え、その線で要求して、それに嵌らなきゃダメだっていう…それは、僕の場合にはないですね。20代から30代半ば位まではかなりそうなってましたけど… |
宇野 |
ええ |
清水 |
だからそういう時代は”鬼”って言われてたわけですよ。 |
宇野 |
・・・・詩の人たちがライブをよくやって…自分の詩を朗読しますよね。 |
清水 |
ええ。 |
宇野 |
無機質な活字で勝手に読んでいて…活字のあんまり個性を主張しないところが好きです。平板に読んでいって、気にかかるところだけがちょっと面白く読むっていうか…何気ないところっていうのを詩人が読むと感情が判っちゃって、そんなに感情的なものなのかっていう…現代詩ってもっと感情がないものなのかって思ってたら、けっこうセリフを言うように役者のようにやったりしてますよね。 |
清水 |
そうなると俗っぽくなりますよね。 |
宇野 |
そういう気がしますね。 |
清水 |
読書する人に任せてる方がよっぽどいいですよ。 |
宇野 |
そうですね。活字で伝達する方がいいっていうか… |
清水 |
僕なんかそっちの方が好きですね。音に出さない方が…。 |
宇野 |
音楽なんかでも…CDとか…音だけ聞いていて…ドラマティックっていうのは全然気にならないんですけど…演奏家がいて身振りがドラマティックっていうのは…視覚的に気になる時がありますね。 |
清水 |
ありますね。その人が熱中すればする程、こっちは冷めて来るっていうのが…。 |
宇野 |
ええ。音だけ聞いてるとそれは気にならないですね。いくら熱演でも… |
清水 |
そうです。音楽って熱演を見るものじゃなくて、曲の産出する世界の中に入って、その空間的広がりをイメージして…そこで、イメージを拡げて楽しんでいるワケですよね… |
宇野 |
何ででしょうね。演奏された結果は気にならないんだけど…姿を見るのはイヤっていうのは… |
清水 |
音楽の広がりをイメージしてるのに、そのイメージとは全く異質なモノが見えるからでしょうね。でもそういう事って、演劇の俳優にも感じることがありますがね。 |
宇野 |
でも、好きになっちゃうと、きっと良いんですよね、熱演も汗も…。 |
清水 |
それも解ります。唾も体臭も…官能的に感じられたりして…でも僕は生理的反応が嫌なのではありませんが、相手によりけりですよ。踊りなんかでは、熱演されると、その形象の心の動きではなく、演者(踊り手)の心の方が前に飛び出して来て、どんどん私は後退してゆく。これがシルヴィ・ギエムやジュリー・ケントなんかだったら、いいと思うのでしょうがね。でも、そういった人は余りいないので、私は抽象度の高い方へと進む訳です。江戸歌舞伎の古風で闊達で明るい楽しさなんかにも憧れちゃいますね。ドロドロやツケや大見得やぶっかえりや「だんまり」の音といい、闇を耿々(こうこう)とした明るさで表現する手法といい、スローモーションの如く動く登場人物達といい、いつ見ても胸がときめきますね。僕は滝夜叉姫(たきやしゃひめ)なんかも大好きなんです。 |
宇野 |
岸田劉生なんかが言う”でろりとした”味っていうか、淡白にスカッとする江戸前の菊五郎みたいなのと違う何だか装飾的にくねくねとっていう… |
清水 |
ええ、ええ、それはありますけど…絵ではそういうの好きなんですが、肉体だと僕はあまり好きじゃないですね。基本的に僕は人形劇人間なので、近松門左衛門の「虚実皮膜の間」にこそ真実がある、という考え方に染まっていますので… |
宇野 |
はあ。 |
清水 |
やっぱり、六代目・菊五郎さんのような…割合さっぱりして虚実ゲーム大好きな人の方が私は好きなんです。 |
宇野 |
志ん生(しんしょう)と円生(えんしょう)の違いみたいな感じがちょっとあるでしょうね。 |
清水 |
ええ、僕は志ん生大好きです。 |
宇野 |
僕も志ん生好きですけども…でも円生の味はやや歌右衛門的というか、ややエゴイスティック…ナルシストでうまいだろっていう感じがありますよね。 |
清水 |
そうですね。でも私は、志ん生はかなり飲んでいたりしてロレツが回らなかったりとか…一瞬言葉が出なくなったりとか…そういう感じまでが好きなんです。”唾も汗も”の類いですかね。 |
宇野 |
ええ。 |
清水 |
とにかくあの声の出し方、喋り方、その都度違うリズムと間、とてもプリミティブに感じられる。-----そういうところがすごい可愛いんですよ。 |
宇野 |
そういう感じじゃないですか?芸術家もカワイいかカワイくないかっていう… |
清水 |
ハハハハ、そうですよね。 |
宇野 |
ええ、そういう感じはすごくありますね。 |
清水 |
ありますね。あそこへ到達するのは容易なことではないなっていう…私なんかそっちには向いていないなって自分で思っちゃうけど…。宇野さんはひょっとするとその方に入れるのでは… |
宇野 |
嫌味の円生の方に入れる可能性はあるんですけど、志ん生は… |
清水 |
ハハハ |
宇野 |
志ん生はナンセンス度がすごいですよね。 |
清水 |
凄いですね。なんか飄々としててね… |
宇野 |
不条理ナンセンスですね。 |
清水 |
そうですね。僕、ラジオで最初聞いた時、びっくりしました。何ていう落語家だろう、知らなかったけど、面白い噺家がいるんだなと思いましたからね。 |
宇野 |
けっこう伝承芸ではあるけど、創作…「まくら」なんかはけっこうヒット作ってるんじゃないですか? |
清水 |
作ってるんでしょうね。詳しくは知りませんが… |
宇野 |
アドリブっていう感じがするんですよね、すべてに… |
清水 |
そうそう。あの味っていうのが不思議でいいですよね。あれ、真似しようったって無理ですね。簡単に出来ないですよ。その人から出てくるものだから… |
宇野 |
延々しゃべらなくって、その間こっちが興奮して待ってますよね。おしまいの頃はもう耄碌して喋れなかったりとか…舞台の上で何分間か黙ってたりして…それでもそういう志ん生を見たっていう喜びですよね。 |
宇野 |
ええ、ありましたね。 |
清水 |
妖艶な感じなんて余り出ないわけですけど…、カワイくはなる訳ですよ。あれで、随分救われてたんだと思いますよ、文五郎さんていう人は… |
宇野 |
文五郎のは低いのが気になって…水平線(けこみ線)よりも下がっちゃって…例えば琴を弾くやつなんかありますね。 |
清水 |
「阿古屋(あこや)」? |
宇野 |
ええ、「阿古屋」です。どうも低いんですよね。もうちょっとね… |
清水 |
埋まっちゃうみたいな…。 |
宇野 |
そう、埋まっちゃうんですよね。こういう風に…自分の姿勢もどんどん猫背になって来るからしょうがないんでしょうがね。 |
清水 |
まあね…あと、首(かしら)を廻す時、必要以上に回すんですよ無造作に。そうすると顔が後ろを向いちゃう。 |
宇野 |
ああ、そうか。 |
清水 |
だけどそれが、なぜか娘の人形だと可愛いんですね。要するに程々で止めると、道理を心得た結構年いった大人の人の感じになるんですが、わーっと無造作に後ろ向きになると、子供っぽさが残ってる感じがしてカワイいんです。 |
宇野 |
演技なんでしょうね…。 |
清水 |
演技なんだそうですけど、そういう文五郎さんと違って、志ん生さんの場合は、演技なのかそういう癖なのか…ちょっとわからないですね。 |
宇野 |
人魚姫から離れちゃってるけど… |
カワ |
離れているどころか…『人魚姫』をはじめ、劇団人形の家の作品を振り返る時、お二人が普段気にしていらっしゃる事は、一番本質的で…舞台を観た人もそうでない方にも解りやすくなったのではないでしょうか。 |
清水 |
そうね。じゃあ、この辺でそろそろ幕と致しましょうか…。 |
宇野 |
ええ。また、機会があったら… |
カワ |
今日は、楽しいお話ありがとうございました。 |
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