第1回 追記3 「夏の海」
清水浩二 Koji Shimizu




光明寺のエリア内に朱色の門と塀の寺がある。光明寺の末寺・千手院(せんじゅいん)である。千手院は専修院とも言われ、本尊は先手観音であり、その昔は学僧達の道場であった。芭蕉の「春ももや景色ととのう月と海」の句が刻まれた記念碑が立っている。

コボちゃんこと
山崎照雄氏
そこの住職が、鎌倉アカデミア文学科一期生の山崎照雄氏である。彼の御母堂は、この照雄氏を「コボちゃん」とよんでいた。「小さな坊さん」という意味らしい。そこで千手院の近くにある耽美荘の住人、江田、渋谷、渡辺の三名も「ね、コボちゃん」とか「な、山崎君」と呼んで親しく付き合っていた。

コボちゃんもかなり足しげく耽美荘に遊びに来ていたし、私と江田とコボちゃんの三人で、色々なところにも遊びに行ったりもしていた。
耽美荘に来ると、よく大声で「ガバッー!」などと叫んでいた。

 この愛すべき人間コボちゃんが、夏の由比ケ浜海岸に遊びに行ってる時、泳ぎ出し、沖へ向かった。私と江田は土用の海が危険で、クラゲが出て顎などを何度か刺された経験もしていたので用心して泳がなかったが、コボちゃんは我々よりも年上で一寸屈折した男だったので、男らしさを見せようとして泳ぎ出した気もしないでもないが、「やめといた方がいいんじゃない?」と言っても、「なーに、これしきの波なんか…」と言って泳ぎに行ってしまった。

 私と江田は、一寸心配なので目を離さないようにしていたが、コボちゃんはどんどん沖の方へ行くので怖くなり、監視員に「早く救助してくれませんか。あんなに沖へ行くと…」と言ってるうちに、「あっ!沈んだ!溺れてる!」と監視の若者は叫び、仲間と共に舟で救助へ向かった。
暫時の後、監視小屋に運ばれて来たコボちゃんは意識がなく、青ざめた顔色だった。砂に寝せて水を吐き出させ、人工呼吸をやり、なんとか助けられたのだったが、この話は山崎氏にしてみれば触れられたくない話だろう。が、私には忘れ難い体験だったので書かせて貰った。コボちゃん御免。



八幡宮の参道 段葛(だんかずら)にて
左より 山崎照雄氏、江田法雄氏、筆者

現在の鎌倉の海岸(由比ケ浜)
遠くに材木座が見えている。
その森の中の白い屋根は

かつて鎌倉アカデミアがあった
光明寺の屋根である。



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