思い出のキャラ図鑑

    第21回「ロサンゼルスの思い出3 ハイランドビルとレイ・ブラッドベリさん
清水浩二 Koji Shimizu

1. ハイランド・ビル



上の写真
右側の屋上に看板のあるビルが"1800ハイランドビル"
このビルの5階に東京ムービーの製作部と社長室があり、
筆者はそこで仕事をしていた。左手にはメソジスト教会がある。

右の写真はハイランドビルの仕事場。
向かって左にあるのが給水設備

 "リトル・ニモ"の仕事場は、ロスの中央から北へハイランド・アベニューをハリウッド目指して行くと、メソジスト教会に突き当る。それを右へ曲ると、すぐ右に建つビル(1800ハイランドビル)にゲーリー・カーツ氏と藤岡豊氏が作った"キネトグラフィクス"はあった。
  一寸余談になるが、このハイランドビルには、毎朝飲み水を売りに男が来る。そしてそれ用の容器に私達は水を一杯買う。私の部屋には私と池内辰夫さんしか普段はいないので、それで十分である。
  また、このビルのトイレは階ごとの共同トイレとなっていて、入るのには鍵を持って行って開け、入ったら閉めなくてはならない。治安の為だという。まさに所変われば品変わるである。

 ところで、私がレイ・ブラッドベリさんに最初会ったのも、ゲーリー・カーツさんに会ったのも、この"ハイランド・ビル"である。

2. レイ・ブラッドベリ(Ray Bradbury)さん

 言うまでもなく、ブラッドベリさんには"リトル・ニモ"のシナリオをお願いしてあったので、イメージ・スケッチを見るためにロス北東部のパサデナの方から自転車で来られた。私は、あの有名な大作家が自転車で来られたのに驚き、家がこの近くなのかナと思ったが、あとで藤岡さんに聞いて驚いた。パサデナはそんなに近くはないらしい。なら、どうして?
SF作家レイは飛行機や車が嫌いなので、いつも自転車だそうで、多くの人々から"愛すべき有名人"と親しまれているという。

  事実お会いしてみると、とても気さくで、優しい人に思えた。あの映画監督スティーブン・スピルバーグが"マイ・パパ"とレイを呼んでいると、友人の小笠原豊樹訳の"死ぬときはひとりぼっち"の訳者あとがき≠ナ知った。

  無論、ブラッドベリは世界的に有名なSF作家で、著書もかなりある。その中での主なものを挙げると、"何かが道をやってくる""火星年代記""刺青の男""華氏451度""たんぽぽのお酒""太陽の黄金の林檎""十月はたそがれの国""とうに夜半を過ぎて""死ぬときはひとりぼっち""ブラッドベリは何処へ行く"などが有名である。

ブラッドベリ氏を思い出しながら筆者が書いたスケッチ

 今挙げた中のひとつの"何かが道をやってくる"が、ディズニープロで映画化され、その試写会に招待された。試写会は八三年の四月十五日(金)の夕方。私は"ニモ"の関係者とディズニー・プロダクションの試写用ホールに向かったが、門を入って、まずディズニー・プロのその広大な土地に驚いた。そして試写ホールに近づくと、入口の前にブラッドベリさんが満面に笑みをたたえて待っておられ、握手の後、案内して頂いた。

 入ってみると、試写室は何の飾り気もない質素なホールだった。
  そして時間になると、普段着の男性が現われ、「"何かが道をやってくる"の上映に先だち、賛美歌312番"いつくしみ深き"を歌って頂きましょう。」と言って引っ込むと、これも普段着の男達が、客席からステージに上り、ア・カペラで歌い始めた。♪いつくしみ深き 友なるイエスは、罪とが憂いを取り去りたもう。・・・そしてそれが終ると、コーラスの人達が客席に着き、スクリーンが下りて上映が始まった。

 なんと日本の試写会と違うことか!飾り気がなく、素っ気なさすぎる。これは合理主義に徹しているということなのだろうか。一寸驚いてしまった。ブラッドベリのあの暗い叙情とは対極のホールは意外だったのである。

 その後、私は一度だけ藤岡さんとサッちゃんに案内されてブラッドベリさんの書斎を訪ねたことがある。地下にある"うさぎ小屋"とか"レイの巣"とか呼ばれている書斎を拝見に。そんなに狭くはないが雑然としたとても楽しい感じだった。

 足の踏み場もない位床には色々なものが置いてあり、ソファまで行きつくのに一寸時間がかかった。本棚に囲まれるような空間にはデスクがあり、その上にはタイプライターが置いてある。隣りにはペン立てとスタンドののっているライティング・デスクがあり、椅子の後ろには資料を置いておく細長いテーブルもあった。

 天井にはリアルな星が描いてあった。本当の空だと思わせるような錯覚を狙った意図が感じられる。でも、その空からは不気味な仮面やキャラクター人形も垂れ下がっていた。

 本棚がいくつもあって、キャラクター人形や怪獣の玩具や乗り物の玩具がのっていると思うと、映画"白鯨"の写真やポスターやミニチュアや、その他の映画関係の資料なども置いてある。また天井や壁には絵や写真の他に色々なメモが貼ってあったりもした。
私はキョロキョロして、「あそこにメモが書いてありますが、どうやって読めるんですか?」
「大丈夫、これがあるでしょ。」と言ってブラッドベリーさんは双眼鏡を手にとってにっこりした。
「いやあ、おそれいりました。」

とにかく楽しい書斎であった。ご本人のお人柄のように・・・。

 話は一寸変わるが、"ニモ"の打合わせの時、ブラッドベリーさんが言った―「映画は建造物がいのちだ」と。とても印象に残った言葉である。
"リトル・ニモ"の原作の設定に基づいて、天地がひっくり返っている絵をアニメーターが描いた。氏はそれを面白がっていた。そして他にも独創的で魅力的なシーンを提案してくれたり、惜しみなく才能を発揮しておいでだった。

 とにかくブラッドベリーさんは魅力的な作家である。詩的で知的で、いつまでも瑞々しい感性の人であることに感動をおぼえる。


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