第2回  「村山知義(むらやま・ともよし)先生―トムさん―」
清水浩二 Koji Shimizu



 


村山知義先生 45歳の頃
  私は当時の多くの若者のように「充実した青春時代を!」などとは思っておらず、「遊んでいる中で徐々に解って来るんじゃないの。」などと嘯(うそぶ)いて遊んで暮らしていたので、生真面目な増見利清君を悲しませ泣かせてしまったことがある。彼はおそらく私のような者がクラスメイトと思うだけで情けなくなり、涙が出て来たものと思われる。
こんな考えの浅い私の書く「キャラ図鑑」なので、何かの足しにはならないことをお断りしておく。

  さて、ここで取り上げるキャラは、鎌倉アカデミア演劇科長・村山知義先生である。劇作家であり、小説家でもあり、挿絵画家でもあり、舞台美術家でもあり、舞台演出のヴェテランの大芸術家である村山先生。(※先生の代表作として劇作では「国定忠治」「死んだ海」脚色では島崎藤村の「夜明け前」、小説は「忍びの者」が有名である。)

  私は田舎者だったので、芸術家はみんな当時の千田是也先生のようにスラッとした体にお洒落なファッションの人に違いないと一人決めしていたので、村山先生のタッパが高くなく、かつ小肥りで頭は丸坊主なのにはガクッとしてしまった。しかし、講義を拝聴し、解り易くて筋が通っていて面白かったので、私は忽ち村山ファンになってしまったのである。

  でも、その村山先生が「山口麗子くん(小説家になった山口瞳の妹で、日本舞踊家になった同級生)が、光明寺の山門の辺りで僕の帰りを待っていた。僕を好きなのかねぇ・・・・」と嬉しそうに言っておられるのには「自惚れが強いのか、主観的なのか、一寸幼い感じ」に思われた。
  それに関連するようなことで、先生ご自身が話されたことを紹介すると、「夏、半ズボンで銀座を歩いていた時、擦れ違う人が僕を見ていく。振り返ってズーッと見ている人もいる。そこで僕はてっきり『大衆的にも有名になって来てるんだ。』----そう思って胸を張って歩いていて、ふとショーウインドーに写っている己を見て愕然とした。・・・・・褌(ふんどし)が外れて、半ズボンから垂れてゆらゆら揺れていたのだよ。」
  この話って私は嫌いじゃない。「先生(トムさん)ってカワイイ!」という感じがするからだ。

  それから、これは一寸ニュアンスの違う話になるが、戦後間もない頃、先生が長谷大仏後ろに、宇野重吉さんや陣ノ内鎭さん(戦前新協劇団の舞台監督)とご一緒に一軒の家を借りておられた。そこへ私が、あるアドバイスを頂こうとお邪魔した時、先生は私にコーヒーを入れて下さった。だが、コーヒーに角砂糖を一コ入れ、もうひとつ撮み上げると私の方をチラッと見てから元へ戻してしまわれた。私にはその印象が強く残った。
  それから五、六年経って、先生が新宿柏木(現在の北新宿)に家を新築されたのを聞き、ご挨拶がてらお邪魔したことがある。太陽の燦々と入るお部屋においでの先生はタバコをくわえると虫メガネでタバコの先端に光を集められ、スパスパと吸いながら火を点けられた。私はこの光景で、鎌倉の角砂糖を思い出した。と、時間を無駄にすることを嫌う先生は、「ね、君、いま、何してるの?」と尋ねられ、「なにって・・・・・人形劇をやっています。」とお答えすると、とても興味おありの様子で、人形の構造や大きさなどを質問されたあと「僕ね、昔、ヴェネチアで等身大のマリオネット見たけど、君もああいうのやると良いと思うよ。日本にはまだないからね。」と、とても示唆的なお話をして頂いた。そしてその村山発言を私は渋谷のパルコ劇場で一九七七年、シェイクスピアの『夏の夜の夢』を等身大人形で演じる形で具現している。マリオネットではないけれど・・・・・・・。
  さて、話を新宿柏木に戻すが、先生のお話をうかがいながら部屋を見まわしていたら、隣室との壁の右下の方に躙口(にじりぐち)風の小さな板戸が見えた。「ん?・・・なんですか、あの小さな戸は・・・?」と質問すると先生は得意そうに「あれはね、強盗が入った時、隣りの部屋へ逃げ出せるように、と考えたものだよ。いいアイディアだろう?」「いやあ、恐れ入りました!」
「恐れ入りました」ついでに、もうひとつ私が舌を巻いたのは、先生演出によるシラーの『ヴィルヘルム・テル』の第三幕で、悪代官に命じられて、テルが自分の息子ジミーの頭上にリンゴをのせ、それを射抜かなければならない場を観た時だった。「どうやって矢をリンゴに命中させるんだろう?どんなトリックを使うんだろう?」と思いながら芝居にグングン引っ張られ、「当った!!」の声でハッとしてジミーの頭上を見ると矢はリンゴに差さっており、テルの絞り込んでいた弓は元に戻り、矢はなくなっているのだった。村山知義という演出家は頭デッカチの理屈過剰の演出家ではなかったのである。そのことを知って、私は感動した。
因に、この『ヴィルヘルム・テル』の公演は、昭和三十年で、場所は大手町のサンケイホール。テルを宇野重吉、代官を瀧沢修、といった配役での公演であった。
  

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